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2年4組
原宿教育学園幕張秀英高等学校のクラスの1つ。黒木智子が2年に進級し所属したクラス。喪39から喪120まで。
智子の年次の担任
智子の年次の生徒
研究ノート
生徒数について
智子1年次のクラス(10組)の生徒数は25人から30人と推定され(10組の研究ノート参照)、3年次は33人なので(5組の研究ノート参照)、2年次の各クラスも30人程のほぼ同数だと仮定すると、4組は上記のように未確定(?印)4人を含めると女子だけで既に25人がいて男女差の甚だしいクラスということになる。
ところで、修学旅行の班分けは男子の会話や智子のセリフから4人1班が基本であるらしく、内笑美莉は雌猫の間グループ(以下雌猫と略す)と「5人組になれなかった」為に智子の班に名前だけ加わったという(喪69)。雌猫ページの研究ノートの考察では、雌猫は内を含む6人の結束の強さが指摘されていて、とすると、内の言葉は「結束の固い6人から『5人組』を作らなければならなくなったせいで自分が外れてしまった」という意味にとれなくもなく(更に言えば、結束の薄い他の2人とも何らかの事情(後述)で一緒になれなかった)、そうだとすると5人班は例外として認められるが3人班は認められなかったということになり1)、その例外とは人数が4で割り切れなかった為に発生したと考えるのが一般的である。
そこで改めて当時の4組女子の班割りを確認すると、智子班(第4班、4人)、南班(4人、根拠については南小陽の研究ノート参照)、雌猫班(第2班、5人)、ネモ・岡田班(人数不明)、加藤班(同)の5班があるが、女子の総数的にも恐らくこの5班が全てであり、そこから4組女子は21人から23人が所属するものと仮定でき、更に4組女子には他に委員長グループなる5人のまとまりもあり、また、トイレで智子を誘うか相談していたグループもあるが、このトイレグループは委員長グループの一部であり、独自班結成を企てるも失敗し、結局はネモ・岡田班と加藤班と南班に分散合流したものと考えられ、これらを勘案すると、未確定生徒4人(ノリ・マキ・雌猫(黒髪)・雌猫(白))は別クラスであって(前述の何らかの事情)、女子は計21人とみて大過なさそうである。
一方の男子は13人前後(修学旅行では3班編制になる)であると見込まれ、板書された班分け表でも全8班編成のように見えなくもないので(喪692))、そこから4組は男女比に偏りのある34人前後のクラスだと推定される。
補足
当然ながら智子の年次以外にも4組は存在する訳で、例えば智子の1年次だと、文化祭で屋台を構えつつ「まずい」(智子談)たこ焼きを移動販売もし、なおかつ校舎に垂れ幕を掲げて何かの宣伝をしていた(喪21)。
