便宜上「説」と言ってますが確かな論拠のある固い話ではありません。私モテ最新話の更新を待つ間のなぐさめに、しばし私の妄想話にお付き合いいただければ幸いです。
さて今回の記事を書くきっかけとなったのは去年「私モテの作品世界、もこっちの主観説」という記事を書いたあとに、谷川先生が別のファンの方のツイートに対して「3回くらいで終わると思ってた修学旅行でしたが、何故か長くなってしまいました。」と答えられているのを発見したことです。
@creamiyabi93 3回くらいで終わると思ってた修学旅行でしたが、何故か長くなってしまいました。戻ったら扉絵だけじゃなく、漫画でゆうちゃん描きたいですね
— 谷川ニコ (@harimoguni) 2015年5月10日
それまで漠然と「まあ予定よりは長くなったんだろうな」とは思ってましたが、3回とはまた短い。実際に描かれた修学旅行は 喪71 モテないし出発する から 喪81 モテないし秋葉原に寄り道する までの11回ですから、およそ1/4程度の長さで終わる予定だったことになります。当然、田村ゆりちゃんや吉田さん、真子ちゃんにうっちーと言った今ではレギュラーキャラとして定着した女の子たちとの交流もほとんど描かれることなく終わっていたことでしょう。
そうなると気になってくるのは「それでは修学旅行はもともとどんな話になる予定だったのだろうか」という事と、「その場合、もこっちを取り巻く人間関係はどうなっていただろうか」という事だと思います。
修学旅行はもともとどんな話になる予定だったのか
まず最初に頭に浮かぶのは単行本8巻のあとがきにも描かれていますが、作画の先生が京都に取材旅行へ行かれた時に京アニショップ(単行本では “K・ani Shop” とされています)に寄ったのにまさかの16時閉店で取材ができなかったというエピソードです。
喪102 モテないしいつかの冬休み で智貴と 涼宮ハルヒの消失 を見たりと、私モテでは京都アニメーション作品やそのパロディが登場する事が多い印象がありますが、それとは別に修学旅行が始まる前には国内外の掲示板で「こみちゃんと一緒に京アニショップに行って欲しい」という書き込みを何度か見かけた記憶があります。
以下は修学旅行が始まった直後の 喪72に対する4chanの反応 からの抜粋です。
Anonymous 02/05/15(Thu)13:49:55 No.120872491
>>120872350
俺の予想だと、その三人は部屋に残ってもこっち一人で京都市内を観光する事になる。もこっちが京アニショップを探していると、同じく一人でいるこみちゃんと出会い、二人で京アニショップに向かって歩きながら会話をして楽しい時間を過ごす京アニショップに到着すると店は閉店しているんだけど、なんだかんだ言ってその日は楽しかったと二人は満足する
今でこそもこっちの周りに多くの友人がいますが、この当時もこっちと普通に会話してくれる原幕の同学年の女子といえば小宮山さんとあとはネモくらいなものでした。そして今ならオタクである事を隠していたネモとばったり出会っていたらどうなっていただろうかと想像する事もできますが、当時その可能性を考えられた人はまずいなかったと思います。
つまり班の他のメンバーとの交流がほとんど描かれずに修学旅行が三回程度で終わっていたと仮定した場合、もこっちと小宮山さんが一緒に京アニショップ行くのは必然とはいかなくてもかなり蓋然性の高い展開であったと考えられます。喪79 でもこっちが自由行動で一人嵐山に行った時、小宮山さんと伊藤さんに出会ったのはその名残ではないでしょうか。あの時のもこっちが吉田さんや田村ゆりちゃんとさほど仲良くなっておらず、またなんらかの理由で伊藤さんもいなかったとしたらまず間違いなくもこっちと小宮山さんは合流していたことでしょう。
実際にはもこっちは田村ゆりちゃん達と合流し、それが私モテという作品の大きな転換点の一つになるわけですが、もしも仮に実在する京アニショップが16時閉店ではなく谷川先生が取材をすることができていたら、果たしてどうなっていたでしょうかね?
もこっちを取り巻く人間関係はどうなっていただろうか
またもし仮に修学旅行が三回程度で終わっていたとしたら、もこっちが吉田さんや田村ゆりちゃん達と仲良くなるのはもっとずっと後になっていたと思います。
分かりやすい大きな違いとしては、うっちーがもこっちに恐怖を植え付けられる 喪80 が描かれないので、結果として蠱惑されることもなく恋の喜びも痛みも知らず雌猫グループの一員としてほとんどもこっちと絡むことのない学校生活を送ることになっていたと思います。現状とIFの未来、果たしてどちらがよりうっちーにとっての幸せなのかは私にはわかりませんけど。
もこっちや吉田さんとの交流を通じて自分を省みることができるようになった田村ゆりちゃんの真子ちゃんとの仲直りも修学旅行後にずれ込んでいた可能性が高いと思います。そもそもなんで真子ちゃんが南さんの修学旅行班に加わったのかは未だに謎ですが、かと言って絶交状態がいつまでも続くほどもろい仲とも思えないので、ほどよいタイミングで仲直りするのではないでしょうか。ただもこっちと真子ちゃんの面識はほぼない状態なので、お昼を一緒に食べたり一緒に下校したりするのは大分後になったと思います。
吉田さんに関しては本人にはほとんど違いはないように思いますが、もこっちやゆりちゃんの吉田さんに対する印象や対応はだいぶ違ったものになりそうですね。外見や言動でもっとも誤解されやすいタイプなのでその誤解を解くことができるかどうかがポイントになるかと思います。
ただこの辺の想像をしようとするとどうしてもやっかいな不確定要素が存在します。
私がひそかに「私モテのトリックスター」と呼んでいる荻野先生です。荻野先生のことですから、ゼウスに逆らい人類に火を与えたプロメテウスのごとく、谷川先生の意志に逆い強引にもこっちに友達を作らせようと画策するに違いありません。
別の言い方をするなら全11回をかけてもこっちと吉田さん達が打ち解けていく過程を描いたからこそ、もこっちを取り巻く今の人間関係に強い説得力がありますが、仮に三回程度で終わっていたとしたらその後かなり強引な展開もあり得たのではないかと思います。
その代わりと言ってはなんですが、この記事のタイトルにもなっている通り、もこっちと小宮山さんは今よりほんの少しだけ仲良くなっていた可能性もあると思います。小宮山さんが智貴に惚れている以上、一般的な意味での仲良しになることはまずありえないと思いますが、ゆうちゃんもこっち小宮山さんの三人で遊ぶ機会は今より増えていたことでしょう。
それでもなんとなくですが、もこっちと田村ゆりちゃん、そして吉田さんはいずれ友達になっていたと思います。
以前「もこっち主観説」の記事でも書いたとおり、確かに修学旅行を境にもこっちとクラスメートの交流が描かれることが多くはなりましたが、一年の最後で周囲がもこっちを認識するようになり、もこっちも周囲に共感を示すようになってからはいずれ友達ができる事は必然であり避けられぬ既定路線であったと思います。
この既定路線をゆっくりと進みつつ、かと言って容易に友達を作らず貯めにためたエネルギーの爆発が本来3回程度で終わる予定だった修学旅行が11回まで伸びた原因だったのではないでしょうか。なので修学旅行が大きな転換点となった事は事実だと思いますが、これを「路線変更」と呼ぶのは私はあまり正確ではないと個人的には思います。強いて言うなら各停から快速や特急に乗り換えたくらいの印象ですね。
とまあ、ここまで私の妄想話にお付き合いいただいた方には申し訳ありませんが、今回の話にも特にオチはありません。冒頭で書いたとおり最新話の更新を待つ間のなぐさめに少しでも話題を提供できればと思い、古い話をひっぱり出してなんとか記事にまとめてみました。
いずれまたこんな風に古い話を今と絡めた妄想話をするかも知れませんが、その時はまたお付き合いいただければ幸いです。
今の状態は「既定路線」や「路線変更」でもなく、当初は作者も予期してなかった状態ではないかと思ってます。
「田村ゆり」のデザインなんて、初登場時は完全にモブキャラのデザインで、「修学旅行」編だけの使い捨てで、その後、レギュラー化させる気はなかったんだと思います。
ところが、喪74の「モテないし班行動する」で、ただ、もこっちがいつものような行動でヤンキーキャラにボコられるという、いつものような話を作る中、田村ゆりの内面を描いてしまった結果、「このキャラは、こう考えるだろう。このキャラ、こう考えるだろう」と突き詰めて考えていった末、今の状態になってしまったんじゃないか、と思ってます。
コメントありがとうございます。
わかりにくい文章を書いて申し訳ありませんが、私が上で「規定路線」と言ってるのはもこっちに友達ができることです。そしてこれは別に谷川先生に友達を作る明確な意思があったという話でもないのです。
以前「私モテの作品世界、もこっちの主観説」という記事でも書きましたが、確かに修学旅行を境にもこっち以外のキャラの内心が描かれるようになった事も作品にとって大きな転換点であったと思います。
田村ゆりちゃんや吉田さん達は当初修学旅行のみのキャラとして登場させたつもりが、谷川先生の予想に反して活躍した結果レギュラー化したという点については私も同じ意見ですね。