俺は氷の様な冷たい目で姉を見る。この姉がおかしな事を言うのは今回が初めてじゃない。たまに人の同情を買うために芝居をする事があるのだ。たしか前は人生相談とか言いながらハブラシで姉の歯を磨かされた様な気がする。だがそれにしてもこんな荒唐無稽な話は初めてだ。
姉「大勢の暗殺者に狙われてるの。私の事を見ていて、どこまでも追ってくるの。」
俺「それは怖いな。」
姉「怖いわ。でもともくんなら信じてくれると思ってた。」
俺「それでそいつらはどんな格好をしてるんだ? 忍者装束? それともジェームス・ボンドみたいなスーツ?」
姉は大きく首を振る。どうやら俺が皮肉を言っているという事には気づいてないらしい。
姉「みんなほとんど普通の人と同じ格好よ。でも一つだけ普通の人と大きく違うのは、みんな車椅子に乗ってるの。」
…一瞬世界が固まった。
俺「車椅子?」
姉「そう、車椅子に乗った暗殺者なの。」
俺「それで、姉ちゃんは一体何をしてその体の不自由な暗殺者達を怒らせたんだ?」
姉「解らないわ。お父さんやお母さんが原因かも知れないし、そういえばお父さんは自分の仕事をいつも秘密にしてるでしょ?」
俺「つまりそいつらは父さんの仕事の秘密を聞き出すために姉ちゃんをつけ狙ってるのか。」
姉「きっとそれだわ! 大変な事になったわね…」
俺「そうだな。もう十分話は聞いたし、その車椅子の連中の話の続きはネットにでも書きこんでもらうとして、俺はそろそろ休んでもいいかな?」
姉「ともくん! これは他人事じゃないのよ! もしこのまま何もしなかったら… 彼らは私を殺して… その次は…」
これは被害妄想ってやつなのかな? そろそろ医者を呼んだ方がいいかも知れない。とにかくもう我慢の限界だ。俺は立ち上がると姉を部屋から追い出そうとする。
姉「ちょっと、何してるの?」
俺「話はおしまいだ、姉ちゃん。いいから早くシャワーを浴びてください。そして俺にはもう構わないでください。」
俺はこの未開人がいつかまともな会話ができるようになる事を祈りながら、ことさらに丁寧な口調で姉をドアの所まで押し出した。
姉「待って! まだ一番大事な部分を話してないのに…」
まだ何かしゃべろうとする姉の目の前でドアをバタンと閉める。未開人の学習能力に過度な期待はできない。姉はそのままドアの前でしばらく荒い息のまま立ち尽くしていたが、やがてめそめそと泣きながら自分の部屋へ帰っていった。
車椅子に乗った暗殺者だって? まったく、あのバカ姉はこれまでに誕生した人類で一番バカなんじゃないだろうか。この家の壁は非常に薄く、隣の部屋からは姉がすすり泣く声が聞こえてくる。どうせ嘘泣きに決まってる。俺に罪悪感を覚えさせようってつもりだろうが、そうはいかない。
しばらくすると姉の部屋から「ブーン」というマッサージ器の振動音が聞こえてきた。マジかよ!? そういやあの姉はシャワーを浴びたのか? 浴びてないよな? ベッド脇のテーブルの上にある時計に目をやると時間はまだ午後7時前だった。俺は少し気分転換をしに外へ出かける事にした。この部屋に残る姉の匂いを嗅ぎながら、隣の部屋から聞こえてくる振動音を聞いていたら俺はきっと頭がおかしくなる。
俺は携帯を取り出し、友人に電話をかける。
友人「智貴くん!」
この子はいつ電話をかけても、最初の呼び出し音が鳴り終わる前に元気な声で電話にでる。なぜかは解らないが、ここ一年ばかりはこれまでより少しだけ低い声になった気がするが、今はそんな事はどうでもいい。
友人「どうしたの?」
俺「姉ちゃんがちょっとね。解るだろ?」
友人「ああ、まったく嫌よね。」
俺の幼馴染の女の子はすかさず同意する。この子はどうやら俺の姉を嫌っているらしい。
俺「そんなことより」
と、俺は話題を変えた。このままだと自分の姉の悪口をえんえんと聞かされるハメになりかねない。
俺「一緒にどこかへ出かけないか?」
友人「いいわよ! 私はいつだって智貴くんのために予定を空けてあるもの!」
その時、俺の頭にある考えが浮かんだ。あのウザい姉に仕返しをする、いや教育を施すこれはチャンスじゃないのか。この幼馴染は姉の事を嫌っているから、俺に協力してくれるに違いない。
俺「やっぱり俺ん家に…」
友人「行きましょう!」
俺が言い終わる前にすかさず答える。
俺「えっと… 俺ん家に来たら玄関で待ち合わせしよう。音を立てずに静かに入って来てくれ。」
隣の部屋にいる姉に聞こえないように、俺は電話越しにささやく。電話を切った後で友達を待つために玄関に行くと、そこは予想通りひどい有様になっていて、飾ってあった花瓶やら絵画やらが床に転がっていた。姉が帰宅した時にめちゃくちゃにしたらしい。
やむを得ず玄関を片付けていると、友人がドアを開けて静かに入ってきた。あまりに静かに入って来たので、俺は後ろを振り返るまでそこに人がいる事に気づかなかったくらいだ。確かに静かに入って来いとは言ったが、ここまで完全に気配を断てと言ったつもりはない。いつも騒々しい友人がこんなにも静かに行動できるとは予想外だった。それに電話をしてからまだ数分もたっていない。ちょっと早すぎやしないか?
…まあいい。俺は手に持った花瓶の破片を近くのテーブルに置くと、俺の計画を友人に話した。
友人「智貴くん、あなたって本当にひどい人ね… ぜひやりましょう!」